大愚和尚からのメッセージ
リーダーよ、AI時代だからこそ、
人間を学べ
「技」が進むほど、「願」が問われる。
AIが、猛烈な勢いで賢くなっています。
文章を書く。
絵を描く。
市場を分析する。
戦略を立てる。
新しい事業まで考える。
人間が何年もかけて身につけてきた「知」が、誰でも使えるものになろうとしています。
ロボットも進化する。
人は減る。
市場も変わる。
昨日までの勝ち方が、明日には通用しなくなる。
経営者であれば、期待と同時に、どこかに怖さを感じているはずです。
けれども私は思います。
恐れるものが、違う。
AIが人間より賢くなることを、恐れるのではない。
AIという強大な「技」を手にしながら、
人間が「何のために使うのか」を見失うことを、恐れなければならない。
答えは、もう足りている。
これからAIは、いくらでも答えを出してくれるでしょう。
どう売ればいいのか。
どう集客すればいいのか。
どう効率化すればいいのか。
どんな商品をつくればいいのか。
しかし、私は経営者に問いたい。
あなたは、何のために会社をやっているのですか。
誰の苦を減らしたいのですか。
誰を喜ばせたいのですか。
何を守るのですか。
何なら、捨てられるのですか。
儲けた先に、何を残したいのですか。
そして、
あなたがいなくなった後、この会社に何を残したいのですか。
AIは、答えることはできる。
しかし、
何を問うべきかを決めるのは、人間です。
答えが溢れる時代だからこそ、
経営者には、深い問いが必要になる。
未来を当てるな。軸を定めよ。
未来は分かりません。
AIがどこまで進むのか。
どんな仕事がなくなるのか。
どんな産業が生まれるのか。
誰にも分からない。
だったら、未来を当てることばかりに心を奪われないことです。
必要なのは、
未来を当てる力ではない。
未来が外れても、迷わない軸である。
仏教は、二千五百年以上、人間を観てきました。
国が変わった。
王が変わった。
戦争が起きた。
疫病が流行った。
文明が変わった。
それでも、人間の根本はそう変わっていません。
欲する。
怒る。
迷う。
愛する。
傷つく。
老いる。
病む。
そして、死ぬ。
だからこそ、時代が激しく動くときほど、
人間を深く観なければならない。
経営も同じです。
変えてはいけないものを持つ者だけが、大胆に変われる。
私は、古いものを守れと言っているのではありません。
むしろ逆です。
変えるべきものは、どんどん変えればいい。
商品も変える。
事業も変える。
組織も変える。
売り方も変える。
AIも使う。
ロボットも使う。
しかし、
何のために会社をやるのか。
そこまで流行に合わせて変えてしまったら、会社は漂流します。
経営マンダラでは、その中心を「誓願」と呼びます。
何を実現したいのか。
誰のために働くのか。
どんな社会を次の世代に手渡したいのか。
この「願」が定まれば、変化は怖くありません。
変えてはいけないものがあるから、変えるべきものを、大胆に変えられる。
これが経営の背骨です。
慈悲 × 仏性 × 技 = 事業
では、新しい事業はどこから生まれるのか。
私は、こう考えます。
慈悲 × 仏性 × 技 = 事業
最初に来るのは、技ではありません。
慈悲です。
人を観る。
社員を観る。
お客様を観る。
取引先を観る。
家族を観る。
社会を観る。
何に苦しんでいるのか。
何が不便なのか。
何を諦めているのか。
何があれば、もっと喜べるのか。
そこに、事業の種があります。
次に、仏性を見る。
自分たちには何ができるのか。
社員はどんな力を持っているのか。
会社には、どんな技術、経験、信用、現場力が眠っているのか。
他人の成功を追いかける前に、
自分たちの足元を掘る。
そして最後に、技を使う。
AIも使えばいい。
ロボットも使えばいい。
新しい技術は、どんどん使えばいい。
ただし、
技を主人にしてはいけない。
人間が技に仕えるのではない。
技を、人に仕えさせる。
AIで何ができるか、ではない。
人間のために、AIに何をさせるのか。
そこに経営者の仕事があります。
AIには「やりよう」を。人間には「ありよう」を。
経営には、
「やりよう」と
「ありよう」があります。
どう売るか。
どう集客するか。
どう分析するか。
どう効率化するか。
これは「やりよう」です。
これからAIは、この「やりよう」を猛烈な勢いで支援してくれるでしょう。
ならば、任せられるものは任せればいい。
その代わり、人間は、
何を願うのか。
何を大切にするのか。
誰と歩むのか。
何をしてはいけないのか。
利益を何に使うのか。
どんな人間として経営するのか。
という、
「ありよう」を磨かなければならない。
AIが賢くなればなるほど、
経営者には、人間としての深さが問われる。
私は、そう考えています。
技より先に、願を持て。
経営マンダラには九つの鏡があります。
誓願・事業・戒律・環境・善友・広宣・親縁・灯明・富産。
しかし、その中心にあるものは一つです。
誓願です。
何のために生きるのか。
何のために働くのか。
何のために会社を経営するのか。
その願を立てる。
そして、人の苦を観る。
自らの仏性を磨く。
技を善く使う。
仲間と力を合わせる。
信頼を積み重ねる。
富を生み、次の世代へつなぐ。
それが、経営マンダラです。
私は、AIの未来を悲観していません。
かといって、楽観もしていません。
技術には、善も悪もない。問われるのは、それを使う人間です。
だからこそ今、経営者に必要なのは、
新しい技術を追い続けることだけではない。
もっと根の深いところに降りて、
自分は何を願うのか。
そこを定めることです。
「技」が進むほど、「願」が問われる。
答えが溢れるほど、問いを深く。
変化が激しいほど、軸を太く。
技が進むほど、人間を磨く。
技より先に、願を持て。
経営マンダラは、未来を当てるための経営論ではありません。
どんな未来が来ても、経営者が自らの足で立つための、経営の羅針盤です。
一般社団法人 経営曼荼羅
代表理事 大愚元勝